領域代表あいさつ

細胞を、多数の相互作用する生体分子ネットワークからなるシステムとして捉える「システム生物学」と呼ばれる研究が行われているが、全てのネットワークが十分には理解されてはいないため、真の意味での「システム生物学」は完成しておらず、現状では、遺伝子、mRNA、代謝物などの大量のデータを「眺めて解析する生物学」にとどまっている。

一方、このような生体分子ネットワークを「眺めて解析する生物学」から、「創って解析する・利用する生物学」を目指し、2000年頃から米国で合成生物学という研究が行われている。「創って」と言っても「無から生物を創る」ことを指しているのではない。サイエンスの面では、同定済みの相互作用する生体分子を組み合わせた人工遺伝子回路を設計して、振動やスイッチなどの特定の細胞内現象を再現させようとする試みがなされている。また、応用面では、別の生物由来の酵素遺伝子を複数組み合わせた人工代謝経路を設計し、その生物が本来生産できない物質を大量生産させる試みが行われている。しかしながら、人工遺伝子回路や人工代謝経路は小規模であり、試行錯誤で構築されているのが現状であり、合成生物学を展開するための技術基盤は未だ確立されていない。

本領域では、生体分子ネットワークをより深く理解し、利用するために、①人工遺伝子回路や人工代謝経路の探索・設計を行う情報科学と、②無細胞系(in vitro)で回路・経路構築を行う工学と、③細胞内(in vivo)へ回路・経路を導入する分子生物学の技術を結集し、有機的に連携することで、世界に先駆けた合成生物学を展開するための技術基盤を構築する。

1970年代当時、国内ではほとんど手掛けていなかった、生化学反応系(特に酵素反応系)のシステム解析の研究を目にするようになり、1980年代半ばには、実例を交えたシステム解析の手法も増えてきたように思う。化学反応系で、電気回路のような論理回路を実現できないかの動きは、1983年に出版された”Synergetics: An Introduction (H. Haken, Springer-Verlag (1983))”のChapter 9 Chemical and Biochemical Systemsの中で言及されている(9.8 Chemical Networks)。この流れを受けて、世界に先駆けて、神経素子としての記憶を持ったスイッチ回路を酵素反応系を用いて設計、ハードウエア化に成功している。その後、日本では、バイオ素子、バイオコンピュータの研究が広まったが、理論・情報科学先行型で、実験での実証ができないことから、遺伝子を含む生化学反応系を用いた回路設計の研究は一時的なものに終わった。本領域の立ち上げにあたっては、この経験を踏まえ、人工遺伝子回路や人工代謝経路の探索・設計を行う理論・情報科学系とin vitro(無細胞系)で回路・経路構築を行う工学系と、in vivo(細胞内)へ回路・経路を導入する分子生物学系の技術を結集し、有機的に連携することではじめて領域が推進できるとの思いを強く持っている。

本領域の最大の特徴は、ドライ系(理論系)の情報科学的技術(C01)と細胞を扱う分子生物学的技術(A01)の間に、無細胞系で回路・経路構築を行う工学的技術(B01)を取り入れ、3つを有機的に連携させることである。理論系で設計したものを、一旦、細胞を考慮しない無細胞系で構築、機能評価し、その結果を踏まえて、細胞内に導入するストラテジーをとっている。第2の特徴は、構築し、細胞に導入した人工遺伝子回路や人工代謝経路を用いて機能発現する過程をシステム解析することで、内在する生体分子ネットワークをより深く理解する試みである。つまり、「創って解析する・利用する生物学」の創成である。

合成生物学の技術基盤は、世界的に見ても確立されておらず、計画研究にはない新規で斬新なアイディア、技術を公募研究を通して発掘し、領域研究を深化させる必要がある。